親父のトホホなつぶやき

夫婦に子供二人というごくありふれた我が家の日々の出来事を、父親が情けなくつぶやきます。

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完全の向こうには

90年代後半になると本、雑誌、新聞のほとんどが電子組版(ワープロの親分みたいなもの)による印刷になります。
皆さんの周りになんか活字の書いていあるものがあったらちょっと開いて見てみてください。
9割方ワープロの文字のはずです。
たまにスーパーの広告で赤とか黄色一色のものがあったりします。
あれはワープロではなくて写真植字のこともあります。
(写植もデジタル化されていればそれはもうワープロと一緒といっていいですが。)
そんなこんなで活字のデジタル化が進んでいますが最初の頃はドットが荒くて字のギザギザが見えたモンです。
今ではほとんど分からないレベルになってきましたから技術の進歩ってあなどれませんね。
てなわけで周りがデジタル文字であふれ始めたある日のこと、デジタル文字でない昔印刷された本を何の気なしに手にとって見ました。
じっくり見たんですが、これが実にいい。
昔印刷されたものですからもちろん鉛の活字です。
アレは独特です。
なんと言ったらいいんだろうか、明朝体なんですがなんとなく頼りなさげ。
今のデジタルの活字の方が数倍も力強いのははっきりしています。
鉛の活字で印刷された方の字は線の一本一本がそんなに細いわけではないのにちょっと力を入れるとすぐにポキッと折れてしまうんじゃないかと思わるくらい繊細です。
一方デジタル活字の方は細い線は限界まで細いのにこれでもかと言うような存在感があります。
この違いはなんなのかと考えてみました。
で、私が出した結論は完全かそうでないかです。
デジタルの活字はもちろん各ソフト会社で作成しますが、いろんな知識を総動員させて自分達が一番美しいと思えるような活字を完成させそれを採用します。
それは一旦作ってしまえば何度印刷しようとも壊れることはありません。
(ソフト会社のほうで形を変えてしまえばその時点で変化しますが...)
そして、同じソフト、同じ字体同じ大きさの活字を使っている限り1ページ目から最終ページまでその字が変化することはまずありません。
さて、鉛活字の方はどうでしょうか。
こちらの方は活字職人(という職業があるのかは知りませんが)一字一字型(活字の原型)を作っていきます。
大きいものならイザ知らず一辺が1センチにも満たない小さなものです。
ある程度整ったものはできるでしょうが完全とはいえないでしょう。
そして昨日書いたように、鉛の活字はそれ自体を原紙に打ち付けて使いますから何百回も打ち付けているうちに少しずつ形が変わっていきます。
つまり、1ページと最終ページでは同じ字でありながら形が微妙に変わっているはずなんです。
しかも、打ち付けるのは機械でやるとは言え打ちつける力も一回ごとにほんの少しずつ違います。
つまり同じページの同じ字でありながらわずかに違う印象を得るということも考えられるんです。
デジタルが完全で、鉛活字を使った昔ながらの印刷が完全ではないというのはこういった理由からです。
しかしですね、実はこの不完全さこそが味につながるんです。
ちょっと前にCDの音質のことについて触れました。
CDの方が雑音が少ない分音がいいはずなのにオーディオマニアは逆に雑音の多いアナログ盤(レコード)の方が音がいいと主張します。
この、雑音こそが味なんですね。
(実は雑音以外にも重要なポイントがあるんですがこれはまた別に機会に譲りましょう。)
昔ながらの活字印刷は一字一字ごとに揺らぎがあります。
行もまっすぐなようで実は微妙に(本当にはっきりとそれとは分からないくらいに)波打っています。
それらが目の中に一度に入ってきてなんとも言えない魅力になったんじゃないだろうかと思うんですね。
見た目には完全であるはずだし、印刷という技術も完全を目指してきましたが、結局は完全であるがゆえに捨て去ってしまったものも一杯あるのかもしれません。
そのうち逆に人間臭さを追求していく方向というのも生まれるかもしれん。
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テーマ:日記 - ジャンル:結婚・家庭生活

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