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親父のトホホなつぶやき

夫婦に子供二人というごくありふれた我が家の日々の出来事を、父親が情けなくつぶやきます。

風呂って

昨日は冬の暖房のこと(まあたいがい暖房は冬のもんだが)について書きました。
ついでなので今日はやはり冬の楽しみお風呂について書きましょう。
夏場はシャワーだけという人でもやはり冬はちゃんとお湯をためて入るのではないでしょうか。
...なーんて思って調べてみると冬場でもシャワーだけという人も少なからずいるようですね。
入浴なんかに時間かけたくないとか、入浴で温まろうなんて考えていないというような理由だそうです。
そうね~、幼い頃どんな風に入浴していたかによって大人になってからの入浴パターンが決まってくるのかもしれません。
...イヤイヤ、今日書きたいのはそんなことではありません。
日本のお風呂の歴史について書きたいんです。
日本でのお風呂ってどんな進化を遂げてきたのか(ってそこまで大げさなもんじゃないですが)を探っていきましょう。
江戸時代の前まで庶民には入浴という習慣はなかったようです。
なんだろう、川の水で身体洗うとかいいとこ釜でお湯を沸かしてそれで体を洗うとかいうところでしょうか。
それでも平安の頃の寺院では入浴は健康に良く、また体を清めなければならないという大切な業のために浴堂が備えられていたそうです。
そんなわけで銭湯の原型といえるものはこの頃にはできていましたが一般庶民も普通に利用できるようになるのは江戸時代に入ってから。
しかし江戸時代の銭湯というのは現在の湯舟につかるタイプではなく蒸し風呂に近いものだったようです。
湯舟につかるタイプのは銭湯とは区別されていて湯屋と呼ばれていました。
(落語にも湯屋番という演目があります。)
そして驚くべきことにと言うかうらやましいことにこの時代の銭湯は混浴でありました。
しかも禁止令が出ていたにもかかわらず明治の頭まで続いていたということは...。
まあ、それはそれとして銭湯も江戸時代の中ごろから蒸し風呂方式よりも今の形の方が主流になり明治~大正では完全に今の形式が定着ししかもより清潔になり現在に至ります。
大衆浴場のほうはこのように進化してきましたが内風呂(一般家庭にある風呂)はどうだったのでしょうか。
一般家庭というか武家でも上のほうになるとちゃんと家にお風呂がありました。
今は給湯式が多いと思いますがその頃も給湯式でした。
ただし今と違って蛇口ひねってすぐためられるわけではありません。
別に釜かなんかでお湯を沸かしそれを少しずつ人力で湯舟に移す方式。
ジョージ秋山原作のマンガ浮浪雲(はぐれぐも)が1990年にドラマ化された時、主人公(ビートたけし)の自宅で奥さん(大原麗子)が上に書いたように湯舟にお湯を移すというシーンがありましたが上流階級ではない主人公の家に風呂があったかどうかは疑問でありますね。
話を戻すと、そんなわけで一般庶民は家に風呂をもてませんでしたが昭和の30年代から少しずつ普及しだします。
普及はしますが一般化するのは昭和40年代半ば(1970年代)に入ってからでしょう。
その根拠を今から書きます。
私が生まれた頃住んでいた町営住宅(1965年建築)は風呂を置くスペースはありましたが風呂そのものはありませんでした。
つまりどうしても風呂が欲しい家庭は自分で買って付けてねという方式で、同じ住宅でありながら風呂のある家とない家が存在していたわけです。
ですから我が家の風呂はヒノキ風呂(←本当)で、お隣は五右衛門風呂という状況でありました。
同じようにその頃新築された公営住宅やアパートなどは風呂付ではない場合が多かったはずです。
それから、農村地帯(つまり田舎のほうですね)だとその広大な宅地を生かして外にお風呂に入るために別棟を建てていた家も多かったでしょう。
こんな風に本当に目に見えて全国的に普及するのは先ほど書いたように70年代に入ってから
そういう一般家庭のお風呂事情を裏付けるように銭湯の数も昭和43年(1968年)をピークに減少の一途を辿っています。
今では普通の家でも風呂にジャグジーがあったりテレビがあったりするところもありますから私が子どもの頃からすると隔世の感があります。
今夜はお風呂を焚いていた煙の匂いを思い出しながらゆっくりと浸ってみることにしましょう。
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テーマ:日記 - ジャンル:結婚・家庭生活

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