親父のトホホなつぶやき

夫婦に子供二人というごくありふれた我が家の日々の出来事を、父親が情けなくつぶやきます。

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暖房今昔

理屈と膏薬はどこへでも付く(りくつとこうやくはどこへでもつく)
膏薬というのは動物なんかの脂にいろんな薬を混ぜ込んだ貼り薬。
そんな膏薬がどこにでも貼りつくようにあれこれと理屈をつけるが結局のところ都合のいいように理由付けをするということ。
もしくはどんなことにもそれらしい理屈をつけられるということ。
理屈って言葉の意味はすじの通った考えのことなんですが、無理矢理にこじつけた理由なんて意味もあります。
意外なことに情事、色事なんて意味もありますから分からないもんですね。

さてさていきなり寒くなりましたね。
今朝出勤する時吐く息が白くて驚いたのなんのって...ごめんなさい、それほどは驚きませんでした。
でもあれですね、ちょっとだけ早起きすると空気が澄んでいるからでしょうか、満天の星を見ることができます。
満天の星が見えるということはそれだけ寒いということなんですが、寒い寒いとしたばかり見ていないで星空眺めてみるのもいいもんですよ。
着るものも暖房も充実している現代でもみんな寒い寒いって言っているのに昔、例えば江戸時代なんてどうだったんだろうなんてふと思ってしまいました。
でだ、調べてみると...炬燵は出す日が決まっていたそうです。
身分が上の人は神無月の最初の亥の日で、町民は二番目の亥の日。
今年は新暦で11月13日と25日がそれぞれ一番目、二番目の亥の日です。
13日ならもうとっくに過ぎているから堂々と炬燵も出せますが私は下々の人間です、25日まで我慢することにしましょう。
なんていいながらもう既に炬燵出しています。
出していると言っても電源はつないでおりませんで、そこにあるだけ、その中に入っているだけという状態。
炬燵つけずに何やってんだと思われるでしょうが心配御無用。
ちゃんとホットカーペットつけています。
ここ数年我が家はずーっとこのパターンです。
ホットカーペットプラス(今年はまだ登場していませんが)エアコンで越冬しているわけです。
っと、我が家の暖房事情はこのあたりにして江戸時代の話です。
炬燵出す日を炉開きの日なんて言っていたんだそうです。
で、実は茶道でも炉開きの日がありやはり神無月の最初の亥の日。
だから茶道界では茶人正月なんてことを言っていますな。
茶道が先なのか習慣が先なのかは分かりませんが(私は宮中で行われていたのが広まったと思っています。)自分勝手ではなく決まった日に炬燵を出すというのは何か一大イベントのような気がしてきて炬燵を見る目も変わってこようってもんです。
考えてみれば昔の炬燵は火鉢の回りをやぐらで囲ってその上に布団をかぶせたものですからちょっと間違えれば火事を起こしてしまいます。
それもあるのでちょっと縁起かつぎ的なもんもあったのでしょう。
さて火鉢やら炬燵が登場する前は囲炉裏が暖房のメインでした。
囲炉裏ってオイラが5歳くらいの時にはまだばあちゃんちにありましたね~。
なんか煙たかった覚えがあります。
冬になるとその上にやぐら炬燵をのせて掘りごたつにしてました。
下のには四辺に板が渡してあってその上に足を乗せていたな。
その囲炉裏もいつの間にか潰されて普通の掘りごたつになっちゃったけど。
さて、炬燵の話はこのへんで終わって着物のほうにうつしましょう。
江戸時代の頃の着物は高いので、それなりにお金を持っている人はちゃんとした着物を買えましたが庶民にはなかなか手が出ません。
それで普及していたのが和紙でできた着物。
紙衣(かみころも、かみきぬ)、紙子(かみこ)なんて呼ばれています。
今でも寒いときには新聞紙でも巻いとけなんていいますが(エ?言いませんか?俺だけか...)昔は実際に紙を防寒着として使っていたわけですね。
いやあ、ホンマ今日まで知りませんでしたわ。
小学校の社会科でも将軍様の名前よりこういうことを教えてくれれば楽しいと思うんだけどな~。
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テーマ:日記 - ジャンル:結婚・家庭生活

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