親父のトホホなつぶやき

夫婦に子供二人というごくありふれた我が家の日々の出来事を、父親が情けなくつぶやきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

極めてみる?

好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
好きなことならほっといても一所懸命やるから上達するものだ、というような意味だとあちこちの解説サイトには書いてあります。
大体こんな意味だろうな~とは思うんですがちょっと違和感があるので少し分析します。
原文をちょっといじってみましょう。
係助詞の「こそ」を普通の格助詞にかえると「好きは物の上手なり」となりますね。
これをそのまま現代語訳したいんですが「物」っていったい何なんでしょうか。
「なにか挑戦していること」でしょうか、だとしても「物」と言う単語にそんな意味があるとは思えません。
辞書引くと「何か漠然とした対象、とりあげる価値のある対象」などがこれにあたるかな~という気もしますがいまいちピンときません。
ズーっと考えてたら「物の怪」「物の哀れ」と言う言葉が頭に浮かびました。
「物の怪」は「霊、妖怪」だし、「物の哀れ」は自然や芸術に触れて感じる趣であるとか悲しみという意味です。
そんなわけで「物の上手」と言う言葉があるんではなかろうかと考えました。
で、辞書見るとありました!
「物の上手:芸能、芸道において秀でている人」だそうです。
こうなると意味がとおってきます。
「好きは物の上手なり」を現代語訳すると「好きなことは名人上手である」ってこれじゃあなんの事かわかりませんからちょいとかえて「好きになるということは名人上手になるのに大切なことである」としてみました。
それではもともとのことわざで考えてみましょう。
「好きこそ物の上手なれ」の「こそ」は先ほども書きましたが係助詞で、意味を強める働きをします。
古典の時間に習った係り結びの法則を思い出してください。
係助詞「こそ」を受けて助動詞「なり」が已然形の「なれ」に形を変えます。
これを踏まえて私なりに現代語訳してみました。
「何事においても名人上手を目指すのならばやろうとすることを心の底から好きになることがなによりも大切である。」
どうです、先に上げた解説サイトの解釈よりも深みを増したと思いますよ。

このことわざを目にすると中学校時代に音楽の先生から「君は器用貧乏になるよ」と言われたことを思い出します。
器用貧乏というのは「何でも器用にこなしちゃうからあれもこれもとやってしまい、結局どれもこれもものにならない」という意味です。
自慢するようですが私は音楽においてはなんでもそこそここなしてしまいます。
ギター、ベース、ピアノ、ドラムから始まりトランペット類の金管楽器、サックスなどの木管楽器も一応音階ぐらいはできます。
バイオリンも初めて触ってからわずか5分でチューリップを弾いてしまいました。
しかし、ダメなんです。
ギターもベースもピアノもそこそこ弾けるんですが驚くほど上手いわけではない。
まさに先生の予言どおりになってしまったんですね~。
そんなわけでピアノを習えなかったことが今でもコンプレックスになっているんですよ。
私と逆に子どもの頃ピアノを習っていた人って結構いますけど、大人になっても趣味で続けている人ってあんまりいません。
せっかく買ってもらったピアノもぬいぐるみや写真を置く棚になってしまっています。
私から言わせればもったいない話です。
ピアノのある家庭なら一週間に一回くらいは音を出すようにしたほうがいいと思いますよ。
「下手の横好き」なんてことを言いますが、逆に「継続は力なり」ということばもありますからね。
スポンサーサイト

テーマ:日記 - ジャンル:結婚・家庭生活

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://heipom.blog14.fc2.com/tb.php/238-957f6691
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。