親父のトホホなつぶやき

夫婦に子供二人というごくありふれた我が家の日々の出来事を、父親が情けなくつぶやきます。

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新しい世界

酒屋へ三里、豆腐屋へ二里(さかやへさんり、とうふやへにり)
一里は今で言えば約4km。
酒を買うのに12km、豆腐を買うのに8kmも離れたところに住んでいる。
つまりちょっとした日用品を買うのにも苦労するくらい不便な田舎に住んでいるという意味です。
「で、なんで酒と豆腐なの?野菜とか魚じゃダメなの?」って思いませんか。
実はこのことわざは江戸時代に作られた狂歌の一部で
ほととぎす自由自在に聞く里は、酒屋へ三里、豆腐屋へ二里
の後半だけが引用されるようになったものです。

今日は解説ばかりで読みづらいと思いますがチョイとご辛抱願います。
狂歌というのは五七五七七と短歌の形式をとってはいますがお笑い的要素が強く、風流とは別次元のものです。
俳句のお笑い版が川柳で、短歌のお笑い版が狂歌というところでしょうか。
この狂句「ほととぎす自由~」の作者は「つむりのひかり」という人で江戸の町役人でした。
検索をかけると「頭光」「頭の光」「つむりの光」とも表記されています。
はげてたのかもしれません、ってそのままやんけ!

話は戻ります。
山口素堂の俳句「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」にもあるとおり、ほととぎすというのは夏の訪れを知らせてくれる鳥というイメージがあります。
さて、このことわざが狂歌の一部だということになると「酒屋へ~」の解釈がすこーしばかり違ってきます。
私はまずこの狂歌を「酒屋へ三里、豆腐屋へ二里の道のりを歩いていても、どこでもほととぎすの声を聞くことができる」と読んでみました。
これにちょと付け足して私なりの解釈をしてみたのでよろしければ目を通してみてください。
「初夏、騒々しい江戸から離れてちょっと涼しいところに行きました。
ほととぎすの鳴く声を『自由自在に』聞くことができるような土地です。
酒を買いに三里ほどの道を歩いているとほととぎすの声が聞こえてくる。
避暑地とは言え季節は初夏、結構な距離を歩きますからだんだんと体が熱くなってきます。
ちょっと体を冷やすものそう、冷奴なんか良いねえ。
冷奴をつまみながら冷やした酒をグイッとあおろうかなんて考えて酒屋で買った酒を下げ今度は豆腐屋へ二里の道程を歩いていく。
時折気持ちの良いそよ風が道を横切ります。
そこにも聞こえてくるのがほととぎすの鳴く声。」
みたいな感じですかね~。
なんて私の解釈が正しいとは限りませんが、こういう解釈だと野菜や魚ではアカンことが分かります。
どんな解釈をするにしても、ことわざが「不便」、狂歌は「のどかさ」のほうに目を向けていることははっきりしていますね。

さて今日から新学期。
今日、明日、もしくは明後日が入学式のところも多いでしょう。
我が家は昨年花子(小2)が入学式でした。
その3年前に太郎(小5)のをすでに経験していたのでなんの心配もしていませんでした。
太郎の入学式はとにかく緊張しました
その頃は障害(アスペルガー症候群)があるなんてぜんぜん知りませんでしたが式の途中で席を離れるかもしれないという危機感(←はちょっと言いすぎ?)はもっていました。
新入生が席についた状態を後ろから見ているとどうやら落ち着きのなさそうな子どもの近くには他の学年の先生がついていて、当然私の息子の側にも。
(後で聞いた話によると、これに気づいた妻は結構ショックを受けたんだそうです。しかし私は逆にほっとしていました。)
しかし驚くべきことに太郎は結構おとなしくしていました。
頭を動かしたり、手をちょっとあげてみたりというのはありましたがこれくらいなら普通の子でもやるでしょう。
あ~、やっぱり小学校に入るとそれなりにお兄ちゃんになるんだな~と感心した覚えがあります。
この感心が本当は大間違いだったことを2年半後に知ることになったのはすでに記事で書いたとおりです。
なんにせよ、新1年生、力いっぱいはじけてこれからの学校生活を楽しんでほしいですね。
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テーマ:日記 - ジャンル:結婚・家庭生活

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